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東京高等裁判所 昭和38年(う)2579号 判決 1965年10月27日

被告人 八重樫宇助

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人南部健提出の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、ここにこれを引用するが、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一点理由にくいちがいがあるとの主張について

原判決の認定した、原判示第二楽洋丸(以下、本船という)に対する運航上の注意義務及びその懈怠、即ち過失の各内容は要するに、被告人が午後八時頃航海当直に就いてから、絶えず風圧、海潮流による影響を考慮し、単に羅針儀に基づくのみならず、前途の灯台などの目標に対する方位を確かめるなど、できうる限りの方法を講じて船位の測定を実行し、もつて船位が安全な進路上にあるか否かを可及的仔細に確認すべく、万一海潮流の影響によつて本船が陸岸、岩礁等に衝突するなどの事故を惹起するかもしれない危険な位置にあつた場合は、直ちに大きく転舵するよう命じてこれを最大限に回避する進路をとるべき注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、海潮流の影響を考慮することなく、自差八度東を生じ、絶対的に信頼のおけない羅針儀のみに頼り、前記目標に対する方位を確認しないまま本船を運航させるうち、北流する海潮流により本船が予定の進路より北方に寄りつつあることに気付かず、午後九時五〇分頃はるかに北寄りの陸岸に近接した位置にあることに気付いたが、前記危険回避の手段を講じなかつたというにあるのであつて、所論の如き理由のくいちがいは何ら認められない。

所論は、原判決の摘示する被告人が予定の進路より北寄りに航路が位置していることを知つたのも、もとより原判決のいう自差の大きい羅針儀によつて初めて可能であつたことは当然であるから、この点のみは羅針儀を信頼すべきものとし、過失の内容の点においては右羅針儀は信頼できないとするのは明らかに自己矛盾であり、しかも右自差は被告人として予期しえた自差であつて、右羅針儀は不正確なものではないと主張するけれども、既に摘示した如く、原判決は、被告人が予定の進路より北寄りに航路が位置していたことを、羅針儀によつてのみ知つたと認定したわけではないのみならず、被告人自身、捜査及び原審、当審各公判のいずれの段階においても一貫して、北寄りを知つたのは、真東に見えるべき原判示の神子元島灯台が著しく右の方に見えたためであると供述している点に徴し、右弁護人の主張の採用に値しないことは明白である。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点 事実誤認の主張について

本件記録、原判決引用の証拠及び当審における事実取調べの結果、特に被告人の原審公判廷における供述、同人に対する検察官、司法警察員に対する各供述調書、同人に対する当審証人尋問調書を総合すれば、本船の船長なる被告人が、原判示の昭和三七年一月九日午後八時頃航海当直に立つてから同午後一〇時一〇分頃本船が伊豆半島南岸所在の原判示鰹島に衝突するまでの経過は、次の如く認定することができる。

被告人は同夜航海当直に立つたところ、折りから北東ないし北々東の軟風が吹き小雨模様で、進路前方の石室崎及び神子元島両灯台の灯火はまだ見えなかつたが、北東風の強風を予想して、風波のしのぎやすい石室崎灯台に向首する針路をとり、約九浬の全速力で航行した。午後八時五〇分頃石室崎の灯火が、次いで同九時頃神子元島の灯火がそれぞれ視認できたが、当時羅針儀が自差八度東を生じており、被告人はこれを確認していたので、右自差度を加減して両灯台の方位を測定したうえ、本船の船位を測定し、これを海図に記入したが、これとは別にその船位を、石室崎灯台から西一一・五浬と推定し、同灯台を一・一浬、鰹島を約一浬隔てて航過する予定をもつて、羅針路二分の一点(五度三八分)右転し、神子元島灯台を真東に視認できる方位で続航した。午後九時三〇分にも右両灯火の方位をもつて海図上に船位を求めたところ、多少の海潮流による影響のため右予定針路線より〇・二ないし〇・三浬北方に偏寄していることに気付いたが、さして意に介せず、かつその後の海潮流による影響を十分考慮せず、いま少し陸岸に接近したうえ正確な船位を出そうとの意図のもとに、前記羅針儀に頼りながら進航するうち、予定針路線よりますます北に偏寄し、前記神子元島灯台が右に寄りつつあることに気付かず、同九時五〇分頃に至つてようやく同灯台が著しく右に見えるようになつたことに気付き、元の予定針路線に戻すべく二分の一点右転し、羅針路を東二分の一点南とした。しかるに、同灯台は一そう右へ変つていくので、更に二分の一点右転して羅針路を東一点南(東微南)に変え、船首を同灯台に向けた直後、船首前方の至近距離に鰹島を発見し、危険を察知し、驚いて繰舵員に右舵一杯を命じたが及ばず、同一〇時一〇分頃本船をほとんど原針路全速力のまま同島西海岸に衝突させて乗り揚げたものである。

よつて以上の如き認定事実を基礎とし、これに更に、当審における鑑定人板橋巳之吉作成の鑑定書、証人多田甲子雄に対する原審及び当審各尋問調書、原審及び当審における各検証調書、長津呂測候所長矢崎正二に対する当審証人尋問調書、原判決引用の長津呂測候所の観測報告書を参酌したうえ、被告人が航海当直に立つてから負担すべき業務上の注意議務如何及び右注意義務の懈怠があつたか否かを検討する。

前記認定の如く被告人は、午後九時三〇分の本船の船位が、多少の潮流の影響により予定針路線より〇・二ないし〇・三浬北方に偏寄しているのに気付いたというのであるから、航海の安全を計るべき職責を有する者として、右時点において既に危険回避のためには大きい方の〇・三浬の偏寄があつたと考えるべきであつて、しかも海図上その航跡を引けば四度の流圧(〇・二浬の偏寄があつたとしても二度三〇分となる)を受けたこととなるのであるから、前記被告人の推定した午後九時現在の船位地点から進航した航跡よりすれば、鰹島への乗り揚げはほとんど避けられないものとなるべきであり、従つて被告人としては、前記の時点において、船位の左右の誤差につき十分考慮を払わねばならなかつたのであつて、若しこの考慮に欠けるところがなく、かつ適切な見張りにより前記神子元島、石室崎両灯台の灯火の視認を怠らず、その方位の変化に注意しつつ進航しさえすれば、その後予定針路を進むべき本船が次第に北方へ偏寄した航跡をたどつていることは、石室崎灯台に対する左前方の方位角がせばまりつつあること、神子元島灯台が右に寄りつつあることとによりたやすく察知しえたはずであるから、羅針儀で見る方位が如何に変ろうと、直ちに陸岸、鰹島、その他の岩礁への乗り揚げなどの危険を回避するため大きく右に転舵する必要のあることに想到しなければならなかつたのである。元来石室崎灯台と鰹島を結ぶ線、即ち鰹島に対する避険線は磁針方位北八二度東(本船の羅針方位約北七四度東)―南八二度西であつて、本船の如き予定針路をとる場合には、この線を東に越えることによつて鰹島への乗り揚げを回避しうるわけであるけれども、本船の場合、諸般の状況上、この線を越えることなく、既に北へ偏寄してしまつたと推認しうるので、この線は一応問題としなくてもよいであろう。しかしながら、被告人は鰹島を衝突直前まで視認しなかつたと供述しているのであるから、同島を見ることなしに右の線を無事通過するためには、引き続き、よく見える神子元島、石室崎両灯台の各方位及びその交角を仔細に観察して絶えず左右偏寄の状況を知るように努めなければならないのは当然である。被告人が午後九時から同三〇分までの間に約四度も左方へ偏寄したことを感じながら、船位はなお陸岸に近づけば確認できるという確信をもつていたことから推察すれば、右九時三〇分頃には伊豆半島の陸影はかなり明確に見えていたこと及び客観的にもかなり陸岸に近づいていたものと認められるのである。しかして、かくの如く陸岸に近づきしかも左に偏寄を感じた場合の安全航法としては、直ちに大きな角度で変針したうえ、南方に脱出すべく右に転回し、もつて危険区域より離れるべきであつたし、しかも、既に認定した如く本船が予定針路よりますます北に偏寄し、九時五〇分頃に至つて神子元島灯台が著しく右に見えるようになつたというのであるから、その際においても、寸刻の猶予をおかず前記危険回避の措置を講ずべきであつたのである。思うに、被告人が午後九時三〇分の時点において、北方への偏寄を感じつつも、なお、いま少し陸岸に接近して正確な船位を確認しうると確信したというのも、客観的な裏付けなくしては、所詮主観的、独断的なものに過ぎないのである。本船の場合進路左方に鰹島という障害物があるという配慮のもとに、操舵員に「ナツシング・ポート」(左へやるな)の命令を与え、操舵員がたとえ右に曲ることがあつても左へやらぬという心積りで操舵させるという方法を講ずることにより、はじめて前記確信が客観的に裏付けられるものであるのに、被告人は何らその処置を講ずることなく、前記自差の大きい羅針儀のみを頼つて進航したというのであれば、被告人のいう確信もまた、単に主観的、独断的なものに過ぎなかつたと認めざるをえない。他方、午後九時から同九時五〇分頃までの本船の進航状況において、羅針儀に対する信用性について考察するのに、前記の如く当時羅針儀が八度東という大きな自差を生じていたことに徴すれば、右進航状況の場合東自差を小さくみることが、より安全の方策というべきである。即ち、仮りに、羅針路東二分の一点北(北八四度二二分東)の場合、自差を仮りに四度東とすれば磁針路北八八度二二分東となるのに、自差を八度東とすれば磁針路南八七度三八分東となり、往々、後者が前者より南側を、前記鰹島に関してはより安全な水域を航行している如き錯覚におちいり勝ちなことは、当然考えられるところであるから、本船の場合、たとえ加減して測定するとはいえ、自差八度東も生じている羅針儀を全面的に信頼して進航することはむしろ危険であるといわなければならない。更に、被告人として風圧、潮流の影響を考慮すべきか否かについて検討するのに、午後九時頃から同九時三〇分頃までの航行区間において、本船が予定航路より〇・二ないし〇・三浬北方に偏寄する程度の潮流の影響があつたとみるべきことは、前記認定の如くであり、殊に伊豆半島南岸附近一帯に散在する鰹島、その他の岩礁等の地形上潮流が不円滑になることも予想しえないではないので、一般の航行責任者として、常に或る程度の風圧、潮流の影響を念頭におくべきは当然であつて、現に本船の場合も、前記の如く或る程度の潮流の影響があつた(風圧については、長津呂測候所の観測報告によれば、午後九時ないし同九時三〇分の風向及び風速は、北々東ない北東、秒速三・二ないし三・五米となつているから、特段の影響がなかつたと認められる)のであるから、被告人としても、その後も絶えずその影響を考慮におかなければならなかつたのである。

しかるに被告人は、以上各種の注意義務をすべて怠つたのである。即ち被告人は、既に午後九時三〇分の時点において北方への偏寄を感じながら、船位の左右の誤差につき十分注意を払わず、かつ潮流の影響をも考慮せず、前方に陸地を発見すること及び地形によつて船位を確認することに気を奪われたまま進航を続け、その間前記神子元島、石室崎両灯台の灯火の視認による方位の変化を注意しなかつたため、石室崎灯台に対する左前方の方位角がせばまりつつあること及び神子元島灯台が右に寄りつつあることに気付かず、前記絶対的に信頼性のおけない、自差の大きい羅針儀のみに頼りながら続航し、午後九時五〇分頃に至つて神子元島灯台が著しく右に見えるようになつてからも、鰹島、その他陸岸、岩礁への乗り揚げなどの危険を察知せず、依然右羅針儀のみに頼りながら進航し、右危険を回避するための、大きく右に転舵する措置を講ずることなく、僅かに、予定の針路に復すべく二分の一点右転し、次いで更に二分の一点右転し、羅針路を東一点南(東微南)と変えたのみで運航前進したため、本船が前記鰹島に直進しているのに気付かず、ついに同船を同島西海岸に衝突させて沈没させるに至つたのである。

以上説示したところによれば、被告人の当時行なつた操船方法に幾多の過誤があつたことは明白であり、原判決が本船の覆没につき被告人に過失の責ありとしたことは、もとより当然である。もつとも原判決は、右過失の内容の一部たる危険回避のための大転回の措置を講じなかつたことを認定するについて午後九時五〇分頃本船が予定針路より北寄りの陸岸に近接した位置にあることに気付いた際のみを挙げているところ、当裁判所は前記の如く、その約二〇分前の午後九時三〇分に予定針路より〇・二ないし〇・三浬北方に偏寄しているのに気付いた頃から右危険回避の措置を講すべきであるのに講じなかつた点をも過失の内容として認定したのである。しかし、原判決がその前段において認定したその余の過失及び注意義務の各内容を併せ通読すれば、同判決の右の点に関する過失の内容の認定は要するに、本船が原判示の如き危険な位置にあつた場合は、直ちに右危険を最大限に回避する進路をとるべきであるのにその措置を講じなかつた点を骨子とするものであることが明らかであるから、当裁判所の認定と質的に何ら相違するものではなく、結局において右認定と軌を一にするものというべきである。

所論は、原判決が、伊豆半島南側沿岸附近の海域が航海上危険な地形をなしていると認定した点をとらえ、同海域は沿岸に岩壁が屹立していることは事実であるが、本来決して航行上危険な地形をなしているものではないと非難するが、同海域には岩壁が屹立するほか、鰹島、その他多数の岩礁等が散在していることは明らかであるから、航海上危険な地形をなしているといいうることは論なく、論旨は採用に値しない。

所論は次ぎに、原判決の認定した被告人が海潮流の影響を考慮しなかつた点は、事実に反すると主張するが、既に述べた如く午後九時三〇分頃における本船の北方への偏寄は潮流の影響によるものであることは十分認められるところであるのみならず、被告人自身も北方への偏寄が潮流の影響によることを認めているのであつて、そうとすれば、その後の進航において潮流の影響を考慮すべき注意義務のあることは当然であり、現に、本船も北流する潮流によつてますます北方に偏寄したのである。論旨は採るをえない。

所論は続いて、本船の鰹島への乗り揚げは、午後九時三〇分より一〇分ないし二〇分間に従前経験しなかつた三節程度の北流する潮流のため急速に北方に圧流されてしまつたうえ、同船の位置と鰹島を結ぶ方向が全く視認しえないという奇異な気象状況に災いされたため、鰹島の位置を把握しえなかつた結果、惹起されたもので、要するに同島への乗り揚げは不可抗力に基づくもので、被告人に過失の責はないと主張する。

しかしながら、前記板橋巳之吉作成の鑑定書、証人多田甲子雄に対する原審、当審における各尋問調書を総合すれば、午後九時三〇分より一〇分ないし二〇分間に三節程度の北流する潮流が急速に起つたとは認められず、また本船の位置と鰹島と結ぶ方向が全く視認しえないという気象状況であつたとも認められないのみならず、仮りに、被告人が鰹島のみを視認しえなかつたとしても、被告人は終始石室崎、神子元島両灯台の灯火を視認しえたのであるから、前記認定、説示の如く右両灯台に対する視認を怠ることさえなければ危険回避のための措置を講じえたのであるから、被告人の本件所為が不可抗力に基づくものであるとすることはできない。論旨は理由がない。

その他、記録を精査しても、原判決の事実認定に過誤を疑わせるものはない。

控訴趣意第三点 量刑不当の主張について

所論に徴し、記録上認められる本件犯行の罪質、態様、特に、過失の内容は既に述べた如く、多数の人命を預り、貴重な資材、船舶を運航する責任者として、自差の大きい羅針儀に頼り過ぎ、十分な前方視認を怠つたという基本的注意義務の懈怠であつて、悪質というべく、その被害の実損額も数百万円の巨額に達しているなどの事情を勘案すれば、被告人の責任は重大といわなければならない。その他弁護人所論の諸般の情状を被告人の利益に参酌しても、原判決の量刑は軽きに失するのうらみこそあれ当裁判所においてこれを重きに過ぎるとして軽きに変更すべき事由はいささかも認められない。論旨は採用できない。

以上の次第であるから、本件控訴は理由がないので、刑事訴訟法三九六条に従いこれを棄却し、なお、当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文に則り被告人に全部これを負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅富士郎 石田一郎 寺内冬樹)

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